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photo credit: Zuhair Ahmad via photopin cc


私はずっと逃げていたのです。いや、別に犯罪者とかではなく。ずっとずっと、長い間。何から逃げていたか?それは「変化」です。これから紹介する本を読み、心の奥底にあったとある心情に気づいてしまったのです。


挑まなければ、得られない Nothing ventured, nothing gained. (インプレス選書)
挑まなければ、得られない Nothing ventured, nothing gained. (インプレス選書) [単行本(ソフトカバー)]


また、一般的に連続性を重視しすぎる人は、明日を生きる人ではない。今の仕組みを変えたくない、「静かに暮らしたい」人たちなのだ。暴言を承知で言うと、勝ち逃げを狙っている人たちなのだ。いつか壊れるのがわかっている。だけれども、自分が現役の間どうにかもちこたえられるならば、それまでは、だましだましでも続けていきたい。まさに、ネズミ講。(p.264)


googleで活躍されている及川卓也さんのブログ:Nothing ventured, nothing gained.を書籍化したものです。上記の引用は、2012年1月7日の記事、「不連続への挑戦」から。当時、大阪市長であった橋本氏が、制度疲労を起こしている行政に対し、「不連続」へ挑戦しなければならない、という主張をしていたといいます。これは行政システムだけではなく、我々の周りを見ても同じことが言える、という話でしょう。

私はこの言葉を受け、非常に悲しい気持ちになったのです。「静かに暮らしたい」と都合よく考えている姿こそ、心の奥底にあった自分自身だったからです。 



《変化に伴う痛みを恐れた自分》
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photo credit: Alexander Rentsch via photopin cc


「静かに暮らしたい」と願う気持ち自体は、決して悪いものではないでしょう。悪いのは、必要な変化を拒み、ただひたすらに現状維持を願う自分がいたことです。

例えば、仕事にしても日々状況が変わっていきます。同じ商売を同じやり方でずっと続けていたら、独占市場でない限り衰退していくでしょう。よって、新しい発想、これまでと違うやり方が必要となります。これは必要な変化です。しかし、変化には痛みが伴うことがあります。普段と違う道、なおかつ暗闇の中を手探りで進んでいくので、当然ながら転ぶことがあるのです。

私は転ぶのが嫌で嫌で仕方がなかった。ケガをしたくなかったのです。痛みを大げさにとらえ、転ぶまいと「現状維持」という名の手すりにしがみつく自分がいたのです。今はまだ変わるときではない。もう少し体制を整えてから・・・だましだまし続けていけば良いだろう。
ネズミ講にかかっていたのは、他ならぬ自分自身でした。




《未だ道半ば、しかし・・・》
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photo credit: Aristocrats-hat via photopin cc

この本を読み、必要以上に変化を拒む自分を克服出来ました、などとは口が裂けても言えません。未だ心のどこかに、変化を、痛みを恐れる自分はいます。おそらくですが、この気持ちは生涯付いてくるのでは、と思っています。

というのも、「恐れること」そのものは悪くないからです。目指したいのは、恐れながら、足がガクガク震えながらでも、
必要な変化にむけて踏み出せる自分になることです。


Nothing ventured,nothing gained.
挑まなければ、得られない



自分自身に言い聞かせたい言葉です。道程はまだ長いですが、少なくとも挑戦する心を、必要以上に恐れない理性を、これから身につけていこうと思える1冊となりました。